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先日卒業試験を受けて、正式通知はまだですが、とりあえず慶應義塾大学文学部(通信教育課程)の卒業内定(?)をいただきました。いやホント、辛くて長かったです。何が辛かったかというと、勉強ができない、ということなのですが、正確には、勉強をする時間が取れないということ。

ダブルワークで、数ヶ月に一度お休みがあればいいな、という毎日なので、単位を取るのにも時間がかかるし、おかげで折角仲良くなった人もどんどん先に卒業しちゃうし、学籍番号が古くなりスクーリングで出欠を取るときには1番に呼ばれるし(笑)、ホントはもっと勉強したいのにできなくて、ふがいないレポートや試験結果になることもあるし、お知り合いになる方の仕事の経歴に比べて、ワタクシは田舎で地味にただ仕事に追われるだけの毎日だし、その仕事も睡眠不足と疲労から精彩を欠くときもあるしで、とにかく劣等感が積み重なり、どんどん自信をなくしていって気分はどん底(汗)。そんな毎日から脱却して、少しでも自信をつけるためにも、是非とも卒業したい!と思っていたのですが、ようやく少し報われたような気になりました(ホッ)。

短大卒なので特別課程で入学して、途中、近畿大学の通信で図書館司書資格をとった1年と、忙しくて休学した1年も合わせてトータル15年半かかりました。でも、卒業論文は、先生のご協力のおかげで、1年ちょっとの超早業…普通は3年かかりますよ、と言われました(笑)。よって、卒業試験(口頭試問)でも、席に着くなり、「いや~、頑張りましたね!」とニコニコしながらほめていただき、ホントに大変だったので、それだけで涙が出そうになりましたよ。

ということで、久々にブログを書いてみようと思います。最初はあれこれ書いていたんですけど、その後、常にレポートの締め切りと試験に追われ、結果が返ってくる頃にはすでに次のレポートで手一杯で、書いた内容のことはすっかり忘れているしで、書くタイミングを失ってしまいました。ホントは、卒業試験を受ける前に、この大学で学んだことを思い出す意味も込めてブログを書こうと思っていたのですが、忙しくてそれも叶わず(汗)、今ならいいかな~なんて。ただし、通信の学生さんのためではなく、あくまでも学問の面白さが少しでも伝わればいいな、という感じですし、正直すでにいろいろ忘れているので(汗)、専門性や単位取得のためのテクニック的なことは期待しないでください(笑)。

今日はとりあえず、卒論がどれだけ大変だったかだけでも、書いておきたいです(笑)。

テーマにはアルベール・カミュの『カリギュラ』を選び、カリギュラは何故月を欲しがるのかについて、『異邦人』と比較しつつ、作品を分析しました。卒論提出までの経緯を簡単に振り返ると、

高校生のとき、高見沢さんの影響でカミュの『異邦人』を読む。…何故太陽が眩しくて人を殺すのか?

GACKTさんの影響で、月に興味を持つ。…月の魔法はシャラルララってどういう意味(笑)?

2007年、蜷川幸雄さん演出、小栗旬さん主演、『カリギュラ』を見に行き感動する。…月を欲しがるというのはどういうことか?『異邦人』の太陽と関係があるのか?卒論のテーマにしたいな~。

2015年7月、急に卒業への意欲が高まり調べてみたら、『異邦人』と『カリギュラ』と『シーシュポスの神話』は不条理三部作であることが分かる。…これなら研究対象になるかも?と、1ヶ月ほどで気が狂いそうになりながら文献を読みまくり、卒論指導に申し込む。

2015年10月、予備指導はなくいきなり本指導!しかもスクーリングのときにファンになった、岑村先生のご指導~。「カミュが専門ではありませんが、私でよろしいですか?一緒に勉強していきましょう」ともったいないお言葉を。…次の指導までに、『カリギュラ』と『異邦人』を原文で読んで、引用リストを作るように、そして字数は最低20,000字と言われる。

2016年3月~5月始め、ひたすら和訳しまくる!…でも結局、『カリギュラ』は全部訳したが、『異邦人』は第1部(前半)と第2部の必要箇所しか訳せなかった。この辺りから、ほぼ毎日仕事の後にファミレスで勉強する生活に。

2016年5月、第2回卒論指導。この時点では、序論がちょろっとしか書けていなかった。…論文構成や、体裁についての指摘をいただく。10月の指導ではほぼ完成していないと、11月の提出は許可できないとのことで、8月のスクーリング期間中にも個人的に指導していただくことに。

2016年7月の試験で、卒論以外の単位はすべて取得。

2016年8月、台風で休講になり、1日遅れで特別指導。全体の1/3くらいしか書けていない。…このときも、文章体裁についてのご指摘が中心。9月中にできたところまでをメールで送るようにと。…ちなみに、夏は仕事が多忙を極め、1ヶ月で6キロ痩せた。。。

2016年9月、仕事が多忙を極め、卒論が進まないストレスで自殺願望が高まる。

2016年10月始め、先生からダメ出しいっぱいメールが届き、限界を感じて、バイトを1ヶ月休みにしてもらう。しかし今度は本業が究極に忙しくなり、涙に暮れながら、それでも必死に構成を組み直す。そしてソクラテスとの接点を思いつく。

2016年10月、第3回卒論指導。「よくなりましたね!」とのお言葉をいただく。そして「予定通り11月に提出しますか?それとももう少し頑張ってみますか?」と聞かれ、思わず拍子抜け(笑)…ここでハンコをいただかないと卒業が半年遅れるし、それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際のつもりだったのに、委ねられるとは思ってもみなかった(笑)。この時点で22,000字くらい。もちろん、ハンコをいただきました☆

2016年11月、机の前にずっと貼ってあった、「必読書リスト」の中で、ニーチェの『悲劇の誕生』を読んでいないことに気づき、慌ててKindleでDL。これにより論文が新たな展開を見せ、一気に字数が増える。そんな矢先、左目から出血…1週間白目半分が紅に染まる。そして、半狂乱になりながら、「ユーリ!!! on ICE」にハマる(笑)。…いやはや、卒論の崖っぷち感が勇利くんに、仕事でのコーチングができているかどうかでヴィクトルに、とダブルで共感し、卒論の一番キツイ時期を、第7滑走のFSになぞらえ、Yuri on iceを1曲リピートで一日何時間も聞きまくることで乗り切る。

締め切り1週間前に先生にメールで送信、「がんばりましたね。内容についてはこれからじっくり読ませていただきます」とのご返答。そっか、体裁についてしかチェックしていただけてない感じ?先生もお忙しいですよね、と。そういえば、肝心の内容についての指摘は、これまでにもちょこちょこしかいただけてなかったので、心配が募る。最後のレポートの締め切りに、と、1週間で2本レポートを仕上げる。締め切り2日前に要約を書き、これが素晴らしくまとまり!全部書き直したくなる(苦笑)。そして前日に一旦製本したものの、誤字を発見し、そのまま10pほど修正を入れる。最終的に、引用は除いて35,000字くらい。そして、締め切り当日に、大事に抱えて郵便局まで持っていく。

2016年12月~2017年1月半ば、2度目の左目出血。10月の試験を受けに行けなかったこともあって、4科目受験する予定だったが、雪のためキャンセル。失意のどん底に。。。ま、仕事が忙しいこともあって、あんまり勉強できていなかったけど。

その後、カミュ関連の本でいくつか読んでいないものがあって読みつつ、卒業試験当日、集中力を高めるためにYuri on iceを聞いたら、辛かった日々が思い出されて涙が止まらなくなる。。。よって、東京に着いてから卒論を読み返し、20分でプレゼンの原稿を考える(苦笑)。

卒業試験…要約しか読んでいない副査の先生へ、テンパりながら卒論の内容をプレゼンする。猛烈にメモを取る先生。何を質問されるのかとドキドキしていたら、副査「カリギュラを見に行かれたきっかけは?」、ワタクシ「小栗旬さんのファンで…」、主査「質問それだけなの(笑)!」

先生からの講評…素晴らしい論文です!との評価をいただきました。まずはいい点について。

1、テーマの選び方。普通はカミュというと『異邦人』なのに、一歩進んで『異邦人』と『カリギュラ』を関連づけて論じているところ。
2、それに関連して、各章で、『異邦人』を論じてから『カリギュラ』を論じるという、構成が整っているところ。
3、フランス語原文を読み、引用を多用して分析しているところ。
4、ソクラテスとの関連に気づいたところ。
5、参考文献について、カミュだけでなく、月の文化史など、多岐のジャンルに渡っているところ。

続いてイマイチな点について。

1、時々、本論に関係ない要素が入る。書きたいことを絞って書くように。…書きたいことが多すぎてまとまらない(汗)。
2、段落構成について具体的にいくつか。…要約を元に書けば、もっとうまく書けたと思う。時間がなかったの(涙)。
3、ニーチェに引っぱられすぎている、もうちょっとソクラテスで押すべきだった。…確かに、あそこは書きにくかった(汗)。
4、結論と賛辞の書き方について。…卒論指導のときまでに下書きができていれば、ご指摘を元に書き直すことができたのでしょうけど(汗)。

そして、卒業後の予定を聞かれた後、今後カミュの研究をしたいという学生さんが出てきたときのために、卒業論文をいただきたい、との申し出があり、こんなのでよろしければ…と、お持ちいただきました。(返却されるケースもあるとのこと) 光栄です☆

いやはや、ワタクシ、これまでの人生の中であまりほめられたことがなかったので、先生方から温かい言葉をたくさんいただいて、涙が…。そして、辛く長かった学生生活を思い出してはまた涙が…。という感じで、しばらくはこみ上げてくるものを押さえることができませんでした…お外なのに(汗)。ホント、今までの人生で一番ほめていただいた一日で、そういうのに慣れていないワタクシは、ただただ戸惑うばかりでした(笑)。

ということで、いきなり長く書いてしまいましたよ(笑)。さすがに1ヶ月ほどは勉強したくないので、たまった本を読みつつ、またボチボチ振り返りながら書いていきますね~。
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2017.01.27 / Top↑
モーパッサンの『ベラミ』を読み始めました。で、ベラミってどう書くの?と思ったら、Bel-Ami(美しい男友達)・・・フラ語忘れすぎでしょ(汗)。

とともに思ったのが、フランス語を学ぶときって、読み方を凄く注意されますよね・・・特にリエゾンとか、アンシェヌマンとか。

ここでプチフランス語発音講座。フランス語は基本、語尾の子音は読みません。Louisは、「ルイス」ではなくて、「ルイ」、のように。

リエゾンは、vous(あなた)は、単独だと「ヴ」と読みますが、その次にaimez(愛する)「エメ」が来ると、「ヴゼメ」になって、「s」もちゃんと読むのね!という話。
アンシェヌマンは、今回のように、bel(美しい)「ベル」の次に、ami(友達の男性名詞形)「アミ」が来ると、「ベルアミ」ではなくて「ベラミ」と読むよ!という話。

英語では、リエゾンはありませんが、アンシェヌマンはしょっちゅう起こりますよね。Can youは、「キャン ユー」と読むのではなく、「キャンニュー」ですよね。でも、生徒さんに英文を読んでもらうと、時々、綺麗に個別に読む子がいて・・・「ゼア イズ アン アップル」とか言われると、え???みたいな(寒)。学校では一体どうやって教えてるんだ(汗)?

ま、日本人は、イチイチ母音を入れてしまう癖が、最初に出てしまうのはしょうがないにしても、中には、He playsって「s」がついてても、平気で、「ヒー プレイ」って読んじゃう子もいるし・・・ま、そんな読み方をするってことは、活用に意識が行き届いてないということがすぐに分かるんですけど(汗)、あと、全体的に、母音の前であろうとなかろうとtheを「ザ」って読んじゃう子が多くて、しかもいつまでも気づかなかったりするし(汗)、文章を読ませると、息継ぎのタイミングが分からず、棒読みな子も結構いて・・・はつまり、文節の切れ目が分かってないってことだったり、文中の大事な語が分かってないってことだったりするわけですけど。

残念ながら、ワタクシが最初に英語を教わったときのことについては覚えていないので、発音についてあれこれ言われたのかは分からないんですけど、少なくとも、フランス語をやり始めたときに、やけに発音について指摘されるな、と思ったってことは、英語のときには指摘されなかったんだろうな、と。でもね、通じない英語を教えてもしょうがないので、発音は最初の段階からきちんと教えるべきだと思います・・・あとで覚え直さなきゃいけなくなると、二度手間だもんね(汗)。単語だけを見るのではなくて、文節ごとに見るようになってほしい。

ってことで、ワタクシは生徒さんにたくさん読ませます!さっき書いたように、読んでもらうと英語の理解度が分かるし、読めない子はリスニングも苦手ですしね。・・・でもイチイチ指摘していると全然進まないから、最初はちょっと控えめにせざるを得なかったりして(苦笑)。・・・とか言いながら、ワタクシも日本人なので、そんなに上手に発音できるわけじゃないですけど(汗)。

・・・で、肝心の『ベラミ』は、面白くなってきたところです!にしても、モーパッサンの文章は読みやすい☆
2013.12.08 / Top↑
もう、納富先生素敵すぎる!ま、以前スクーリングを受講したときに聴いた話が多かったですが、哲学とは何ぞや、ということをとても分かりやすく話してくださっています。

『饗宴』は「教育学」のレポートを書くために読んだんですけど、大分前のことなので結構忘れてました(汗)。愛の神エロースについてのことだとは覚えていましたが、自分の欠片を求めて伴侶を捜し求める、いわゆる赤い糸伝説の始まりが、この『饗宴』の中で語られていることは、しかもそれが、喜劇作家アリストファネスによって語られていることは完全に忘れていました。。。

でも、ソクラテスは、自分の欠片を探すというのは誤りだとするんですね。自分が不知であることを自覚することから、哲学が始まる、というのは、納富先生のスクーリングのときに学びました。自分に足りないものがあることに気づくと、それを求めるようになる、それが向上することにつながるわけです。でもそれが、元々自分の一部だったわけじゃないんですよね。もしそうなら、元々の自分になるだけで、自分以上の人間にはなれないわけです・・・困難を乗り越えたとき、自分以上のものになれたような気がしません?その瞬間を味わうことこそが、生きる醍醐味だとワタクシは思います。だから、ソクラテスの指摘は的確だと思う。

そうこうしていたら、スクーリングのことをあれこれ思い出しましたよ。確か試験では、神を設定することで、人間は向上していく、と書いた気がします。神は全知全能なので、欠けているところがない。つまりそれ以上何も求めない。でも人間は、自分に欠けている部分があることに気づくと、上を目指すようになる。でもどう頑張っても神にはなれない。それゆえ、常に上を目指し続けることが、生きる目的であり、生きる意味につながる、と。

あぁ、懐かしい☆ そうなんですよ。このソクラテスの考え方は、とても好き。凄く納得できる!それ以来、素直に足りないものを探し求める旅、すなわち、人生を楽しめるようになった・・・はずだったんですけどね、最近忙しすぎて忘れてました(汗)。初心に返るきっかけをくださって、納富先生ありがとうございます!惚れ直しちゃいますよ☆ 後半も楽しみにしています☆
2013.07.11 / Top↑
慶應義塾大学通信教育部 2012年度夏期スクーリング「フランス文学」(文学部専門教育科目) 担当:文学部教授 小倉孝誠


今回は「愛のかたち」について。

スクーリングの初日に先生はおっしゃっていました。「フランス文学は不倫が多いのです。不倫ゆえに、うまくいかない恋ばかりなのです」と。そのときは、まったくもう、くらいにしか思っていなかったのですが、講義が進むうちに、不倫ばかりなのには理由があることに気づきました。それは、フローベールの『ボヴァリー夫人』と、ボードレールの『悪の華』はいずれも「公序良俗に反する」と起訴されたのですが、フローベールは裁判に勝って撤回できたのに対し、ボードレールは出来なかった、というくだりを聞いたときです。

この二作品の、何が明暗を分けたのか?
その答えは、『ボヴァリー夫人』では、最後にエンマが亡くなることにあるのではないかしら?と。

フランス文学の中に不倫が多い、とは言ってみても、そのほとんどが青年と人妻の恋です。青年が恋をする背景には、ゲーテの『ヴィルヘルムマイスター』的な教養小説があると思います。つまり、田舎の青年たちが都会に出てきていろいろな経験を積み成長する、その過程で、恋も必須科目であるというわけです。でも、妻子持ちの男性が不倫をしたところで、それは珍しくないから面白くない(笑)。一方で人妻が恋をする背景としては、良家の女性は早いうちから結婚相手を決められていて、恋をする間もなく結婚してしまう。そして、結婚して初めて一人前として認められて社交界に出てきて、いろんな男性に出会う。しかも夫との間にはさほど愛はない、よって言い寄ってきた若い男性と、恋に落ちてしまう、と。ただし、人妻と言っても、20歳辺りとか、若い場合がほとんどなので誤解のないように。

さてそんなこんなで始まった青年と人妻の恋ですが、一つとしてうまくいった試しがありません。例えば、バルザックの『谷間の百合』では、モルソフ伯爵夫人に青年フェリックスが恋をしてしまいます・・・しかも、目と目が合う前にいきなり肩にキスをしてしまうんですよ☆ が、成就することなく、夫人の遺書に思いが綴られていただけにとどまります。スタンダールの『赤と黒』では、レナール夫人と恋に落ちたジュリアンは、断頭台へと送られます。フローベールの『ボヴァリー夫人』では、エンマが家庭を顧みず不倫と借金に溺れ、最後に自殺してしまいます。

つまり、アンハッピーエンドになっていれば、それは立派な教訓小説となり得るわけで、途中でどんなに羽目を外していてもまったく問題ないわけです。むしろ、途中で羽目を外せば外した分だけ、ドラマティックなエンディングになるわけで、話が盛り上がります(笑)。

ワタクシはフランス文学を読み始めた頃、あまりにもたくさんの人が、恋が報われないことが原因で亡くなるので、またかー、でもそこまで恋に生きられるなんて素敵☆ なんて思っていましたが、実はそういう裏事情があったんですね。そのことに気づいて、フランス文学奥が深いわ-と、ますます興味を持ちました。

というわけで、試験のとき、「恋愛小説における愛のかたちと、その歴史的・社会的背景について」というお題には、これらのことを書きました。結果は「A」だったので、解釈は合っていたというわけですね☆

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ここからはスクーリングの感想ですが、小倉先生は素敵な方でした。リヨンとパリに留学されていたそうで・・・ちなみに、奥様も同業者だそう、上品で、フランス語もお上手で、絵に描いたような大学教授でした☆ でも、出席名簿を回して、自分でチェックをつける形式にはちょっとビックリ(笑)。・・・いやいや、名簿を初めて見せていただいたわけですが、学籍番号が古い順になっているのですね。ワタクシの名前はめくってすぐのところにあったので、あぁ、頑張らないと、みたいな(汗)。

でも反面、取り上げられる作品はいわゆる有名どころばかりで、ワタクシにはあまり目新しさが感じられませんでした。まあそれは、スクーリングというスタイル上しょうがないのかもしれませんが、フランス文学の開講科目はただでさえ少ないのに、毎回概説とか文学史が多いのは残念です。数年前に受講した、峯村先生による、ヴェルコール『海の沈黙』のときは、ホントに分からなくて毎日うんうん唸って、試験の前の夜にやっと答えが下りてきて、これだー!!!との感激を味わったときとは大違いで、今回はかなり楽でした。試験勉強ほぼゼロ(笑)。その分、午後に受けていた「フランス文学(中級)」の予習が大変だったので、ちょうどよかったのかもしれませんけどね。

でもでも、またフランス文学を読んでみようという気になったので、受講してよかったです☆
2013.01.16 / Top↑
慶應義塾大学通信教育部 2012年度夏期スクーリング「フランス文学」(文学部専門教育科目) 担当:文学部教授 小倉孝誠


今頃でホントに申し訳ありませんが(汗)、ブログに書いていなかったことがずっと気にかかっていたので。

ワタクシには久しぶりのスクーリングでした・・・どんだけサボってんだ(汗)。前回は北京オリンピックの時期だったので、4年ぶりだということが判明(汗)。今回はとりあえずフランスで攻めてみようと、午前は、「フランス文学」、午後は「フランス語(中級)」を受講することにしました。

サボってばかりいますが(汗)、伊達に長年在籍しているわけではないので、文学史とか、概説的な講義はパスしたかったんですよね。それで一応「フランス文学」というタイトルがついていた、この科目にすることにしました。あんまり予習できないまま行ったら(汗)、内容的にはフランス文学の中でも、恋愛小説にスポットを当てるものだ、というお話が最初にありました。


最初に試験問題についてお知らせしておくと、

1、文学における特定のシーン(一つ)の特徴について。
2、恋愛小説における愛のかたちと、その歴史的・社会的背景について。
3、文学のなかで、パリという都市はどのように描かれてきたか。
4、オリエントへの旅は、作家に何をもたらしたか。

の中から2題を選んで、それぞれ15行程度で論じなさいというものでした。その中からワタクシは1番と、2番を選んだので、そのことについて書くことにしますね。では今回は1について。


-恋愛物語のシーン-

恋愛小説にはいくつかの段階があるので、それぞれの特徴を分析してみよう、というのが最初のテーマでした。講義では、「出会い、再会、告白、手紙、誘惑、嫉妬、別れ、死」の8つの場面についてのお話があったのですが、ワタクシはその中でも「出会い」のシーンが印象に残ったので、それについて書くことにします。

まず興味を引いたのは、言語によって恋に落ちる表現が違うということでした。日本語では、出逢った瞬間「雷に打たれたような・・・」と言いますよね。いわゆる、運命の出逢い、一目惚れです。それがフランス語にもあるのです。「coup de foudre」意味はそのまま「雷の一撃」 ちなみに、イタリア語でも「雷の一撃」スペイン語では「矢の一撃」カタルニア語では「愛の一刺し」と表現するそうです。でも英語では「falling in love at the first sight」とかなり回りくどい!?現代のフランス人は、今でも一目惚れを信じているのだそうです。うーん、ロマンティック☆

では文学作品ではどんな出会いが盛り上がるのかというと、それには2つあって、1つめは乗り物、特に船。要は閉鎖的な空間、だけど、ほどよく社交的な空間があること、が重要なわけです。列車がダメなわけは、個室だから。特に昔の列車は、各部屋に外からのドアがついていただけだったので、一旦乗ってしまったら、他の乗客との接点がまるでないわけですよ。だから、推理小説には効果的・・・アガサ・クリスティとかね。

でもそれが船だと、乗っている間は、外界から遮断されている、そして一旦下りてしまえば、二度と出逢うことがないかもしれない。でも、デッキやレストランなど、他の乗客と交流できるチャンスがあるわけです。だから燃え上がる!・・・『タイタニック』なんて、その最たる例ですよね!!!フランス文学では、デュラスの『ラ・マン』などは、出会いも、そして別れのシーンも船の上です。・・・映画にもなっていて、講義中にちょっと見せてくださいました。そのうち全部見てみたいです・・・激しいラブシーンがあるそうですけどね☆

そしてもう一つは、舞踏会や劇場など、人が多く集まる場所。舞踏会は言わずもがなですが、劇場にも、紳士淑女たちは着飾って、上演される演目もさることながら、素敵なお相手を見つけに行くわけです。特にヨーロッパの劇場は、馬蹄型なので、客席の反対側のBOX席の様子がよく見えるわけです!そしてオペラグラスで、素敵な人を探して(笑)、いい人が見つかったら、休憩中などに、「こちらにいらっしゃいませんか?」「そちらに伺ってもいいですか?」的なやりとりがなされるわけです・・・何しに行ってんだ(笑)。

その辺りは絵画にもよく取り上げられていて、ルノワールや、マネ、なども、見られる女性について描いています。文学作品では、オペラでも有名なデュマ・フィスの『椿姫』などは、劇場で高級娼婦が田舎男と出会うわけですね。

余談ですが、文学作品では、『椿姫』のマルグリットのように、美しい女性が結核で亡くなるものがいくつかあるわけですが、何故結核でなければならないのか、という話もしてくださいました。・・・要は、美しく死ねるから☆ 外見が醜くなるわけでなく、しかも突然亡くなるのではなくある程度お別れをする時間があって、徐々に弱って亡くなる、あぁ、なんて儚くて美しいのでしょう(涙)、というわけだそうです(笑)。それがその後白血病になり・・・確かに、そのテのものがたくさんありましたね!

話を戻して、文学作品においてストーリー全体の分量からすると、出会いのシーンは数行、長くても数ページですが、読者に十分なインパクトを与えなければならないと言うことで、とても需要なのだ、というお話でした。それには納得☆

ということで、次回は、恋愛小説における愛のかたち、についてです。
2013.01.15 / Top↑